2019年10月4日じーじが死んだ…
*将来我が子にこのメッセージを受け継いでほしいから両親のことを「じーじ、ばーば」と表現しています。
長年連れ添ってなんとか生きてきた「じーじとばーば」とにかくしょっちゅう喧嘩ばっかり💦そんなに嫌やったら別れたらいいのにといつも幼い私は思っていました。でもなんやかんや言いながら二人はいつも一緒?!その関係性が幼い私には全く理解できなかったのです(笑)
私も社会に出て働いて、結婚して、出産して子育てして親が年老いていくのをみてようやく「じーじとばーば」の関係性がやっと理解できるようになった気がする。「じーじとばーば」の出会いから色んな日常があって「今」があるということを…一つ一つの出来事に色んな想いやストーリーが詰まっているから単純明解なもんではないということを…
4年半前のある出来事
ちょうどその頃、私は4人目の子どもの出産で臨月を迎えていました。両親は近所の病院が経営するサービス付き高齢者住宅に二人暮らしをしていました。10年前からアルツハイマーを発症している「ばーば」それをいつも横で寄り添う「じーじ」二人ともそこそこな年齢で介護サービスを利用しながら何とか生活していた感じ💦
ある日の早朝、二人とも部屋からいなくなった。玄関にはセキュリティボタンがあり暗証番号が必要だ。管理人の方から「事務所にきて防犯カメラにお二人が映っていてどうも外出されたようです。心当たりありますか?」心当たりといえば、病院の待合か商店街付近のコンビニ?自転車で行きそうであろう所を必死に探すが見つからず一先ず警察に届け出の相談に駆けつけました。
その日の夕方、一駅向こうのショッピングセンターのベンチに腰かける二人をガードマンが見つけてくれて警察に連絡がいき二人の行方が見つかりました。お部屋のスリッパを履いていて歩きにくかったであろうに(涙)とにかく見つかったのでほっとしたのを覚えています。
二人が安心してサービスを受けながら暮らせる場所はどこなのか?
いつもそのことを想い考えながら娘とし姉妹で試行錯誤していました。そんな時、救われたのが、「とりあえず両親が見つかったら連絡ちょうだい!安心して出産して欲しいからはっぴーの家でしばらくサポートするよ!」という言葉でした(涙)両親のことで悩んで悩んでしょっちゅう姉妹で大喧嘩しながら進んできたので本当に救われたんです。
はっぴーの家はりまに入居決定!!!
それから3日後、両親を車にのせて播磨に向かいました。初めての土地、場所、人に戸惑うかと心配していましたが、ばーばはリビングに入るなり一人の入居者さんの傍にトコトコ近づき大好きな鼻歌交じりの歌を歌い始めたのです!
するとその方が「私の横でずっと歌うたっといて」と…その瞬間にばーばの役割&居場所ができたのです。私たちの心配をよそにその日から両親は入居させてもらうことになりました!すんなり(笑)2016年4月
あの日から4年…みなさんと陽気にはっぴーに暮らす「日常」が始まる♡
好きなことを自由に!ありのままに!温かく見守りサポートしてもらいながら…
そんな「日常」を過ごしながらも二人の容態は日々変化していくのが年老いていくという現実です。ばーばはアルツハイマーが発症してから進行止めの薬も服用せず「日常」の刺激が一番の薬になっているせいか思った以上に緩やかにここまできた。じーじは長年ヘビースモーカーだったこともあり肺炎を繰り返したりしながら年相応の認知度なのか天然なのかの瀬戸際でした(笑)
娘として「死」のことも両親の様子をみながら考えていく必要性もでてきたのです。入荷時に手のかかる両親を少しでも知ってほしくて手書きで書いた「両親はこんな人」シートを渡しました(酒癖の悪い所が大っ嫌いで内容は良いことばかり書いてませんが(笑)
最後に記したこと言葉「母と父はケンカと言い争いが多く………寄り添いながら今日まできています。夫婦の事はよく分かりませんが、長年連れ添い幸せで安心できるのであればできるだけ二人で居られるように私たちはサポートしていきたいと考えています。どうぞよろしくお願い致します!!」
2019年夏頃よりじーじの容態が悪くなり、食欲が落ち、肺炎で入退院を繰り返すようになりました。一時退院して戻った時「食べたいものは?」「パン🥖」と答えたそうです。
その後も喉越しのよいプリンなどを口にいれながらはっぴーの家で過ごしました。
その後、熱が中々下がらず病院に再入院することが決まり、点滴&たんの吸引を繰り返す日々が続きました。この頃から具体的に今後の事を決めていく作業が始まったのです。治療のことや施設、病院のことなど…元通りの「暮らし」にもどるのは難しい状況となってきたのです💦姉と一緒に施設&病院に足を運び説明を受け見学をしていきました。「延命治療」「胃瘻」のワードが飛び交い一時パニックになりました。急いで自分自身でない両親の未来を決めるという選択は迷うしすぐに答えがでない状況でした。
見学し話を聞き、はっぴーの家のスタッフさんやケアマネさんに相談し最終姉妹で決めたこと…
両親をはっぴーの家ろっけんで看取りたい!笑💦
無理承知でお願いしてみました。その言葉で代表はじめスタッフのみなさんと話し合いじーじとばーばが一緒にはっぴーの家ろっけんで暮らすこととなったのです♡涙♡涙♡涙 諦めず想いは伝えていくもんですね。
その日からじーじの暮らし&看取りが始まりました。
最愛の妻「ばーば」に見守られながら
その後ばーばの「よかった!よかった!」という一言でみんなで顔見合わせて「よかったんや!」と和らいだ時間となりました。ほんとによかった!全ての流れもその都度の選択も一人一人のその瞬間の判断。今考えると全て守られていたんだなあ〜ありがたいことです😆
看取りが始まってから組まれたFacebookのメッセンジャーグループ。その中にどんどん招待されていく仲間たち♡ほぼ誰も「じーじ」のことは知らん人ばっかり(笑)でもこのスレッドグループが日々の愛&勇気になっていたことは間違いない。10月5日は予定どおり「すき焼きパーティー」はしよう!とそこだけは全然迷わなかった!
10月5日すき焼き&お別れ会が開催された
死んで2時間後からの様子をブログで残してくれた「掬ぶ人」こと前田彰君。たまたま高校時代の後輩でもありいつも何か大切な節目の時には必ずいる縁深い人と私は勝手に思っています(笑)
【明るく賑やかな死】
https://note.com/akira_maeda/n/ne6d6454d2cbd
じーじのこと知らん人がこんなにも最後の最後まで明るく賑やかに見送ってくれるなんて想像もしてなかったのでこんな奇跡のようで「日常の積み重ねの延長」のような不思議で幸せな時間をみんなと共有できたのはほんとに宝ーーーーーー!
じーじいってらっしゃい!帰ってこないでね!笑
最後になりましたが、「じーじの明るく賑やかな死」に力をかして下さった皆さま♡無事初盆も迎えることができました。私自身「じーじの死」を通して人生の価値観がガラリと変わった一年で「日常」の感じ方が豊かになりました。この時代「今を生きる」ことをついつい忘れてしまうぐらい情報や社会のスピードに巻き込まれがちです。そんな時いつも「じーじの死」を思い出し「今を生きれてる?」となるわけです。これからも「生と死」と向かい合わせに生きながら自分自身の人生を豊かなものにしていきたいと思います。ほんとにほんとにありがとうございました。
「命のバトンは繋がっていますよ」
じーじ!ばーば!命のバトンは今もなお受け継がれているからね♡現在妊娠5ヶ月目前、5人目がお腹にいます。受け継がれる命を大切に大切に育ててあげたいと思います。じーじ、ばーば産まれてきてくれてありがとう!そして産んでくれてありがとう!