7月23日朝…
あの日感じた沢山の愛を忘れないように…
こちらに残しておきたいなとふと想う✨
パッチン!分かったよ!振り返りさせてね🙏
明日は四十九日✨その前に✨
忘れもしない余命宣告をされた日
パパ(パッチンの息子)の備忘録(20210528)をはっつけておこう
【備忘録として】
『合言葉は、77才まで』
3日前、親父の余命宣告(もって1ヶ月)を病院で聞いた。こんなにあっさりと言われると思っていなく、少しは覚悟はしていたものの改めて聞くと、単に受け入れることしか出来なかった。
初めは母親が立ち会っていた為に、動揺して、入院の手続きをしてしまっていたが、冷静に考えると、病院では、この時期は面会出来ないのと最後まで自由な暮らしをして欲しいのと本人の希望もあり、施設の方々と相談しながら、遅れて病院へ到着した私が院長とも話し、入院を急遽キャンセルして(病院内は、ざわついていましたが!)お世話になっている「はっぴーの家ろっけん」に連れて帰って来ました。
1年半前に妻のお父さんも家族と一緒に看取った経験も説明しました。
口癖は「人生思い残す事は何も無い」と「酒くれ〜」
歌と宴会が好き!
口数は少なく、ええタイミングで発言する。
自分の仕事は、何百トンの輸出入を扱う貿易やけど、いつも取引きが終わると紙切れ1枚の書類だけで、お前の仕事は、小さくても形になり皆んなに評価してもらえるから羨ましいって言われた事が、今も物づくりを続けている理由かも!
r3で孫達と料理の先生(ユキさん、あっちゃん)で仕込んだ「命のスープ」で余命宣告の夜は、はっぴーの家で家族と乾杯出来たのも病院では決して出来ないこと🍻
今までの友達もほとんど連絡取っておらず、今の仲間は、はっぴーの家の入居の方々とスタッフ、そして、r3やはっぴーの家に来る皆さん。
若い頃からの酒の飲み過ぎで神経障害、そして半身不随で身動きが出来ない介護度4の身体からこの4年間はっぴーの家にお世話になって、宴会で歌って踊れるくらいに元気になりました。
たまにある宴会で若者たちと呑むのが一番楽しい時間だったようです。
はっぴーの家は、妻の両親も私の親父もお世話になっている特に田舎の無い我が家にとっては『我が家の故郷』です。正月や盆もここで過ごします。
昨夜は、どう死ぬか?を話し合った。
「棺桶はもう先に用意しといて欲しい、あかんと思ったら自ら棺桶に入るわ〜」って!(←そんなんありなんや‼️)
棺桶は、「柔らかい方がええわ〜」って最後までわがままを言うので、親子孫3代でセルフビルドで作ろうと言うことに。
棺桶に入る時の衣装のことも、「この黒いスーツでこの赤いネクタイが良い」って!
合田家は、墓が無いので、「本籍地のある兵庫区の寺で手を合わせてくれ」とか。
スタッフや孫も聞いている中、冗談混じりの会話の中で本人の意思を1つ1つ確認して行きました。
こうして、本人とリアルで話す機会が、何よりも幸せな時間じゃないかなぁって思う。
余命宣告から3日経って、連れて帰って来て、めっちゃ良かったと思っています。
後悔なし!
はっぴーの家の方々には、日々感謝!
お世話になりっぱなしですが、引き続きどうぞよろしくお願いしますね〜
そして、あと1ヶ月半の7/15で77才!
喜寿の誕生日にお祝いの乾杯しようぜ〜🍻
あだ名はパッチン、親父の人生にバンサ〜イ!
夕方一緒にお風呂入って、背中を流させてもらいますね〜
パッチン(義父)との想い出を振り返る✨
須磨の海で遊んで真っ黒に焼けて、髪の毛は金髪でくるくるパーマ、短パンとティシャツ姿の私を見て居酒屋まっさんのカウンターで初めましての乾杯しながらパッチンは?
「黒くて元気な子やな〜」苦笑😅
「こんな感じですがなんだかよろしくお願いします!」的なご挨拶からご縁が始まった(笑)
その頃は、バリバリ貿易会社で仕事をしていたパッチン。パリッとスーツ姿で過ごしてる印象が強かったな。無口で話しかけづらい空気を醸し出していたから20代前半でノリ&勢いだけの私は、パッチンと会う度に緊張していた気がする。
2003年に結婚して2005年に長男を出産してからはおじいちゃんを演じ始めてくれたお蔭で家族の雰囲気も少しずつ柔らいできて、私の両親や姉家族、パパの両親もなぜかご縁が深く「ファミリー感」満載となる✨
「元気なうちに皆んなで!」
を合言葉に、食事や旅行に皆んなで行った。
行けるうちに皆んなで一緒に行っててほんまに良かった!って心底想う✨
四国に渡って金比羅山に…
淡路島のインターで記念写真…
和歌山県にいたパッチンのお母さんとお兄さんに逢いに行ったり…
長男の誕生日に城崎温泉で蟹三昧…
近所のスナックでカラオケで盛り上がり…
三田の山奥でプールと松茸…
パッチンの会社のビアガーデン飲み会に参加…
その時のタイミングは逃さなかったぐらい家族皆んなで色んなところに行けてほんとに良かった😉
いっぱいいっぱいいろんな体験して想いでに残ってるよ✨ありがとう🙏💕ほんとにありがとう🙏
結婚してから18年…
その間でいろんな事があったけどどうにかこうにか家族皆んなで過ごせてきた🙏
奇跡の連続✨
今もなお✨✨✨
はっぴーの家に住むまでも色々紆余曲折ありましたありました😅
頑固で拘りかなり強いから絶対、家族の言うことは聞きゃしません💦
毎日、飲んでー飲んでー飲まれてー飲んでーの繰り返しの結果、末梢神経がやられて全身麻痺して寝たきりに。その時は病院に入院してもう家には戻って来れないんじゃないかと家族全員覚悟する。戻ってきて全介助必要やなと🤔
そんな状態やったのに家に戻って1人暮らしできるまでに復活!!!ほんまに凄い奇跡が起こる✨
そんな状態で一人暮らしは長くは続かず「はっぴーの家」にお世話になることになる🙏
自由で破天荒なパッチンの肌間にはっぴーの家のカオスな雰囲気がピッタリはまり毎日ゴキゲンに過ごす✨
はっぴーの家に4年!ついの住処となる!
その瞬間、瞬間がどれだけかけがえのない貴重な時間だったか。「今」それを改めて想いかえす。
【ぬまっちのFacebookを拝借🙏】
ご報告。
6月5日坊主になりました!
きっかけは先日天国へ旅立ったはっぴーのおじいちゃんの一言。
「漢(おとこ)になれ!」
余命宣告を受けてはっぴーに帰ってきたおじいちゃんに真剣に人生相談をさせてもらった!
プライベート、仕事、将来、いろんな話。
呼吸が苦しい中、
一つひとつの相談に一言で核心をつく応えがかえってくる。
そして言われた一言。
「漢になれ!自分に自信がなくて髪型や髪色を変えてるんとちゃうか?
そんなんじゃあかん。中身から漢になれ。」
はっとした。涙が出そうだった。ホントに嬉しかった。
というわけで
次の日の夜。断髪式。
最初の刃入れはもちろんおじいちゃん。
そのあとはスタッフ、入居者、遊びにきてた人、いろんな人に剃ってもらいながら
完成した上出来の坊主。
この日からはっぴー専属のお坊さんになりました。
おじいちゃん、
あの一言のおかげでスッキリして自分は自分って思えるようになったよ!
漢になれてるかな?
きっと、そんなに甘くないって言ってるんかな?
あの時間は僕の宝物になりました。ありがとうございます!
そしてこの日から2ヶ月が経とうとしている今、
私服で着る和服を作ってもらっています。
今までちょっとまちなかに出るときは家で服装と髪型とイヤリング、ブレスレットなどなど、鏡と向き合いながら納得いくまで身だしなみを整えないと胸を張って歩けない。納得いかなかったら引きこもる。
みたいなことを続けていました。
自分の着物ができたらそれをきて三宮を歩き回りたいのが今の夢。
6月5日
新たなスタートをきらせてもらった日。
【カウントダウンが刻一刻と狭る日々…】
普段どおり、いつもと変わらないスタイルで…
最後の最後まで紳士でかっこよく…
パッチンらしい最高のお見送りをさせてくださいね🙏
誕生日まで生きれるかな?
誕生日まで後4○日か…
っでパッチン数えてた。
そしてそして濃い過ぎる49日間を経て、本日無事に四十九日を終えました🙏
そしてそして…
生前に孫と交わしたひいおばあちゃんの話…
興味津々の孫に…
「いっぺん宝塚歌劇を観ておいで!」
孫と一緒に隣の真っ赤な席で観てた気がする✨
これからもお空から見守り続けてくださいね😉